誰もが迎える人生の終焉(しゅうえん)。終日を飾る葬儀は、大切な人との別れを惜しむ貴重なひととき。自分もまた、最期は、家族や縁ある人たちに、穏やかに見送ってもらいたいと願うもの。しかし、葬式の行い方も埋葬の仕方も多様化し、さまざまな情報があふれる今の社会。何が最善なのか、選択を迷う人も多いでしょう。
神示教会で行っているのは、葬儀・告別式に当たる儀式「玉納奉寿」。納玉(納骨)できる施設もあります。その意義と実際の行い方を確認する「玉納奉寿説明会」を、1月25日、神総本部から全国の偉光会館を中継でつないで実施しました。

目に見えなくても、確かに存在するものの一つが「魂」です。人は、神から魂を宿されて誕生します。そして寿命を終えると、魂は肉体を離れ、神の元に戻ります。その時に、何の悔いもなく旅立てれば、魂は安らかに、次の人生を待つことができます。しかし、誰しも、多かれ少なかれ、「もっとこう生きればよかった」「家族はどうなるのだろう?」などと思いを残すものです。そうした思いの全てを清め、安らかに心の世界へと導いてくださるのが、神示教会の神髄とも言える「御魂送り」。「玉納奉寿」の価値は、ここにあります。
この神の術があればこそ、故人の魂は、何の苦しみもなく、「仕合せな人生だった。また生まれてくるから、それまでいっとき、さようなら…」と、ほほ笑むように旅立つことができるのです。故人の魂が安らぐから、遺族も、掛け替えのない家族との別れを受け止め、心が安定します。
「信者である本人はもちろん、そのご家族の方なら、信者籍がなくても、『誰でも申し込めます』。そして、『全国どこでも行えます』」。職員の力強いひと言ひと言に、出席者の不安や疑問は解け、会場には安心感が広がりました。

数日前に、父親を玉納奉寿で送った担当職員。「不思議と、父は今、安らかなんだと実感できた…」。自身が味わった御魂送りの価値を、身をもって語る一場面も
実際のご逝去から納玉(納骨)までの流れは、「玉納奉寿(葬儀)申し込みのご案内」(PDF)を基に確認。大事な家族を送るために一番合った行い方は…、自分のときは…と考えながら、丁寧にメモを取る参加者たち。「まず、神示教会にご一報いただければ、職員が寄り添い、ご案内します」との言葉に、安堵(あんど)の表情を浮かべていました。
最後に、「故人を見送った後、私たちにできることは何でしょうか?」と、職員からの問い掛けが。「それは、家族で神の教えを学び、真理で関わり合って、仕合せに暮らすこと」。その姿に、故人の魂は安心し、まことの供養がかないます。人間であれば皆が求める、「真実の幸福」を手にするために欠かせない「玉納奉寿」。その価値を、出席者一人一人が見詰めました。

「いざというとき、どう動いたら…」「家族に伝えたいけれど、よく分からなくて…」。高い関心を持って参加した人たちも、「偉光会館に棺(ひつぎ)を安置して行えることが、驚きです」「神の館までは少し距離がありますが、近くにある一般の斎場でも受けられるなら、多くの人に参列してもらえるかも…」「どんなに尽くしたって悔いは残るものだけど、遺族の思いまでも清めていただけるなんて…」。それぞれが、より具体的なイメージをつかめました。
「3年前に、母を玉納奉寿で送りました。亡くなった直後は、悲しくて、つらくて…。でも、儀式を通して、母が安らかに旅立ったことを実感できて、心が前に向きました。遺骨は、偉光会館の神玉園に納めてあるので、参拝するたびに、母に会えた気持ちになります。きょうの説明を聞いて、儀式の価値があらためて分かりました。周りに検討している人がいるので、自信を持って教えてあげたいです」。
「本人も家族も、こんなに安心できる儀式があることを知れて、本当に良かったです。我が家では、夫が闘病中…。夫に『仕合せな人生だった』と言ってもらえるように、今できることで精いっぱい支えていきたい。そして、家族が終日を迎えた時には、みんなでたたえて、送り出します」。
「玉納奉寿」は、悲しい別れの場ではなく、子孫へとつながる、より良い次の人生への旅立ちのひとときです。その真実を知り、家族と共に歩める今生の価値が、各人の心にしっかりと刻まれました。有限の人生を大切に、家族と心を重ねて、生き方を高めていきましょう。
「玉納奉寿説明会」は、毎月1回行います。次回は2月15日(日)です。
玉納奉寿に関して、分からないことや不安がある方で、実施日にご都合がつかない場合は、神総本部 清明会館2階 儀式受付、偉光会館にお声を掛けてください。一方一方の状況を伺いながら、説明させていただきます。